自分自身を諦めなかったキミへ。

イノベーションは現在,過去,常識,システム,あるいはパラダイムといったものに対する否定から生まれることが多いが、自分自身を、その可能性を、諦めることのないそんな「執念」もまた、イノベーションには欠かせない構成要素であると言える。

僕自身は、イノベーションを起こしている(実際に始まるのはもう2ヶ月くらい先になりそうだが)。
僕がもたらすイノベーションは、とある技術分野における旧来的なビジネスを一掃することすら可能であり、実にくだらないバズワードである「クラウド」と呼ばれる存在に直接手を掛けるものである。
そのために、僕はソフトウェアを設計し開発する傍ら、自社の経営者のみならずグループ会社(某大企業)の経営者をも巻き込みつつ、一方でアメリカ西海岸のとある企業とやりとりをし、さらにこの技術に関する将来のビジョン・戦略といったものを描いている。


そんな僕はソフトウェアに関する高等教育は受けていない。だから例えばGoogleには転職できないはずだし、Google社の風潮は僕を排除する方向で機能するだろう。「ソフトウェアに関する高等教育を受けました」という肩書きを得るために東大工学部に入り直したいと思ったことは幾度となくある。
こんな自分も、学歴コンプレックスは持っているものだ。
東大大学院卒・京大大学院卒・ハーバード大学院卒なんてのが部長以上でフツーにいるこの会社にいると、気後れしてしまうのは否めない。
「出身大学名は最もお手軽かつ効果的な資格」とはよく言ったものだと、つくづく思う。


しかし、前述の通り、僕はイノベーションを起こす。
過去や常識を否定し、挑戦し、雪だるま式に仲間を増やした。
異端であることを恥じなかった。
何としてでもビジョンを形にするという執念があった。


何度も壁にぶつかったり、(冗談半分ではあるが)罵倒されたりもした。
表彰されたときに代表としてコメントをする予定だったが、当該技術に関する外部打ち合わせのために、表彰には間に合わず、言いようのない悔しい思いをした。


でも、僕は自分自身を諦めなかった。
僕がここで挫折したら、いろんな意味で、道は閉ざされてしまう。
肩書きと実力の相関係数が1未満であることを証明できる数少ないチャンスを、何としてでもモノにしなければ。
イノベーションを起こし、旧態依然とした不埒な存在を葬り去らなければ。


そしてキミもまた、自分自身を諦めなかった。
ビジネスシーンという実に滑稽で歪んだコロッセウムを否定し、袂を分かった。
すべては手にすべき本当に価値あるもののため。
そこに僕は、執念を感じずには得られない。


キミにとってその会社が全く以て利用価値のないものであったことは実に不運なことだけど、そこに気づいて決断し行動に移すことができる力を今のキミが持っていることは、実に幸運なことだと思う。
僕にもそれくらいの力があったなら……まずは両親に感謝したいと思う。自分の努力で身につくような力ではないから。


イノベーション、それは人が起こすもの。(未来もそうであるとは限らないが。)
そこには、その人となりが刻まれる。
言い換えれば、イノベーションは独自性をもって発現する。
上述の通り、僕が進めているイノベーションは、他の誰かができるものではない。
キミにも、キミ自身だからこそ可能なイノベーションを、音楽の世界で実現してほしい。